〇〇フリークへの道①

〇〇フリークへの道①

 

お久しぶりです。〇〇フリーク第一弾。

春休みに入り、時間の大海原に放り投げ出されたので〇〇フリークの目標を達成するとき!と息込みながら普段しないエッセイ的なものを書きました。笑

 

 

 さて何から始めようかと迷った。今まで活字と友達となろうとしたがずっと友達になれずこの歳まできてしまった。なまじの対策方法ではまた活字を苦手にするだけだと思い、うんうんとない知恵を絞ろうとした。が、己の頭脳にそこまで期待できない。まぁ思い立ったことをやるだけでしょといういつも通りの行き当たりばったりに落ち着く。暗雲が立ち込めるのが早すぎる。

 私が本フリークになるための第一歩として選んだのは、本の本を読むこと。つまり「こんな本がいいですよ!」という書評が載った本を読み、そこから自分が興味を持った本をつまんでいくという方法である。しかし世の中にはおんなじ事を考える人が大量にいるせいかその手の本を大量に存在している。

はて、どうしたものか。

ここも思いつきで、堀江敏幸さんと角田光代さんの「私的読書録」と三浦しをんさんのエッセイをいくつか手に取った。なんでこれらを選んだか。「私的読書録」は最近本屋で見たから、三浦しをんさんは姉から本と漫画をむさぼり読むフリークの重鎮だと聞きフリーク道に邁進するには一番いい教材なのでは?と思ったからだ。

私的読食録

本屋さんで待ち合わせ

 そこからは電車に乗る時間や、少し空いた時間で少しずつ読み進める。ちょっと手が空くとリュックから、本棚から本を取り文学少女のようにおしとやかに本を開く。自分は形から入るタイプであるからこういう雰囲気作りは大事だ。そんな思いを巡らせながら上記の指南書を実際読むと、それだけで満足してしまう内容で、その中からこれを読みたいという本が多く出てきた(しめしめ)早速図書館に走りたい衝動に駆られる(しめしめしめしめ)

 そして最後の本、三浦しをんさんの「本屋で待ち合わせ」がもうすぐで終わりそうで、今から図書館に行こうと思った瞬間、こんな一文が目に飛び込んできた。「読書が嫌いな人、読書以外の楽しみを知っているという人に無理に本を読めと勧める必要はないと、個人的には思っている。」

な、なんと私の目標が根底から覆される一文が…。どうしようそんな事を言われるとと思ってうろたえながらふと前の文を読むとこう書いてあった(なぜ前の文かというと多分私の悪いくせで読み飛ばしていた部分があったのだ)

「本を読めば人格が磨かれ、知識が深まり、情緒が豊かになるというと、そうではないことはわが身で検証済みだ。」だから本を無理に読む必要がないという。

 いやいや、こんな面白い脳内になるのなら、たくさん本を読みたい。

 本を閉じたら、すぐにリュックを持って早速家を出た。

 

いや、三浦しをんさんに影響受けすぎだろ。と書きながら思いました。が、この駄文でだれかが不幸になるわけではないだろという事でこのまま載せます。

本フリークの滑り出しはこんな感じです。この長い期間で本と友達になれるかわかりませんが肩肘張らずやっていきたいと思います。

 次回は、「本のお供は何?」という題で本のお供の再考です。更新は多分3日後。しかし気まぐれ人生なのでもしかしたら2年後ぐらいになるかもしれません。