好きなもの3 「怒りのロケット」での振り返った愛希れいかのドヤ顔 〜月組「BADDY」より〜
なんとどんな気が向いたのか第三弾まで来ました。
既にネタを探している感が激しいのですが、ぼちぼち更新してこうと思います。
よく考えたら毎日心動かされる感動に出会えるわけはないのです(笑)
この企画は本当に書きたい!!!と思う時の私のプラットホームみたいなところにしたいです。
ですが、書き始めたからには止められない。
今回は宝塚です。
舞台です。
舞台は高確率で語彙を失くす感動が身を焦がすことが多々ありますが、今回はその中の1つである2018年に上演された月組「BADDY」の中からこのワンシーンを選びました。
この作品自体が好きなものに入るのですが、私の文章力ではこの壮大なショーを書ききる力はございませぬ。ということで今回のテーマを愛希れいかのドヤ顔です。
ドヤ顔
ドヤ顔とは、その瞬間のために心を高め、思いをためて、そして一気に開花するという顔です。
その顔が私たちの心を掴まないわけがありません。
だってそのつもりでドヤ顔してるんですから。
そしてこの顔はその人から強い意志を発する時に発生します。
つまり、ドヤ顔=強さの最高潮なわけです。
ドヤ顔こそが強さを具現化する一番の表現だと思います。
ながながと説明しましたがこのドヤ顔こそ私の大好物、そして今までも多々私を喜ばせていただきました。心を鷲掴みにしていただきました。(基本女子のドヤ顔限定)
今回は宝塚の娘役の「ドヤ顔」
構造上仕方ないとはいえ、普段は蝶よ花よという箱入り娘のように、そして意志のなさこそが娘役だとされており、女性限定の劇団ながら完璧な男尊女卑世界の中を生きている娘役は(言い過ぎです。ごめんなさい、もちろんデフォルメです)舞台で意志の強さを持った怒りのドヤ顔をすることがあまりありません。
その中で、娘役の新たな道を広げていった愛希れいかがこの強さの「ドヤ顔」を発するには気持ちを高めてためるどころではありません。
娘役の歴史までも抱えての一瞬なのではないかと。そう感じました。
彼女は怒っている。そして生きている。
歌詞にあるドンピシャな表情をドヤ顔として表現してくれました。
役の思いを吐露した、物語のストーリーと、歌詞の意味とがっちりあった上でのドヤ顔こそが愛希れいかの凄さなのではと評論ぽく勝手に考えていました。
宝塚という特殊な世界にフェミニズムの視点で論じるのは批判を招くことも多いでしょう。特にこの作品の演出家である上田久美子氏はその視点をいくばくか意識して書いている作品が多いのではないかと思うことがあります。その中でまたこのようにフェミニズムの視点はうんざりするのではないかと思いましたが、ここは私の思いのたけを叫ぶ場所でありますので、書かせていただきました。
こんな作品も一個ぐらいあってもいいじゃない。
ありがとうございます。
愛希れいか様
月組様
上田久美子様。
宝塚歌劇団様。
この一瞬で私の血潮が駆け巡りました。
真夜中のテンションで失礼しました。今日はこの辺で失礼します。
PS 宝塚での娘役の論理はかなり偏っており、かつ、偏見に満ちた意見でありますのであまりまにうけずにお願いいたします。